プロフィール

運営者:ケンシロウ

ケンシロウ~3度死にかけた男~のプロフィール

はじめまして、ケンシロウです!

ケンシロウというハンドルネームは、もちろん!「北斗の拳」のケンシロウのことです。

ケンシロウの強さと優しさには男ならだれしもがあこがれましたよね!

そんな僕がなぜこのグログを立ち上げたのか、3度の死にかけ体験を交えながら綴ってみたいと思います。

出身:福岡市(現在も福岡市に在住)

年齢:不詳

最終学歴:公立大学の英文科卒業

職歴:ホームセンター正社員、宮崎の田舎でラーメン店経営

現在は契約社員

婚姻歴:1度有り。現在独身

子供:離れて暮らす中学生の男の子が一人

趣味:音楽、映画、動画観賞、スマホゲーム、パソコン、ドライブ、ドラム演奏

生まれは福岡市内です。

ごくごく普通のサラリーマン家庭に生まれました。

3歳年上の兄がいます。

兄はやんちゃな性格でしたが、僕は比較的大人しい性格でした。

そんな僕も小学生の時に初恋を経験しました。

僕の初恋~初失恋

小学3年で初恋を経験しました!!

初恋の相手は他のクラスの子や上級生からラブレターをもらうほど人気の女子でした。

フィンガーファイブの歌じゃないですけど、席替えの時は彼女の隣の席をいつも狙っていました。おそらく男子全員そうだったでしょう。

そしたら4年生の1学期にな~んと!彼女と同じ班で隣同士に!!と同時に僕は引っ越し。

なぜだ~、なぜなんだ~!!!

この時ばかりは親を恨みました。

死にかけ体験その1

小学生当時、高台の住宅地に住んでいたので自転車で200メートルほどの下り坂を勢い良く降りて行く訳です。

ある日友人と二人でふざけながら自転車で坂を下っている時に、僕は片側のペダルに両方の足を乗せて自転車の横にぶら下るようなアクロバティックな乗り方で坂を下りはじめたのです。

バカですよね~、結果は見えてます。

バランスを崩してハンドルがグラグラ揺れだして自転車の制御ができなくなりました。

おまけに下り坂でかなりのスピードが出ています。

そして道路横の壁に向かって一直線!頭から突っ込む~!!

と思った瞬間に頭から壁の向こう側の草むらに前転着地!

自転車はへしゃげましたが僕は無傷。一体何があったんだ?とボーゼン。

高さ1.5メートルほどの壁が50メートルにわたって続いているんですが途中1か所だけ1メートル間ほど高さが15センチくらいの高さになっている部分があったのです。

もちろんそこを狙って行けるような余裕はなかったので、偶然そこに行ったんですね。

壁が低くなかったら頭を強打して無事では済まなかったでしょうし、背中から倒れ込んだ場所が草むらではなく竹ヤブなんかで尖った竹の切り株なんかあったら!
と考えたら今でもゾッとします。

オーディオやカセットテープの改造が趣味に

中学生の頃からラジカセやステレオに興味を持ち始めました。

ダンボール箱でスピーカーを作ったり、ラジカセを改造したりして遊んでました。

カセットテープを分解して、どうやったら巻き乱れができずにスムーズに巻きとれるかなどを日々研究?していました。

ある時、カセットテープの構造についてのアイディアを大手カセットテープ製造会社に送ったところお礼の返事だけが届きました。

そんなもんだろうな~と深く考えなかったのですが、半年後くらいにその案の通りの製品が発売されたのには驚きでした。

TEACの名前で売り出してましたが、製造元は僕がアイディアを送ったTDKでした。

ちなみにそのアイディアとは、昔のオープンリールタイプのリールごとカセットの中に納めるというものでした。

もし、僕のアイディアが元になって開発されたのであればやり方次第では著作権で大儲け!だったんですが。

まぁ、同時期に開発されていたのだろうと思っていますが本当のところはわからず終いです。

当時はカセットテープしかなく、メタルテープは高嶺の華でしたね。

ハードロックとの出会い

オーディオに興味を持つと、同時に音楽にも当然興味が出ますよね。

僕は当時TOTOやジャーニーが凄くかっこいい~!と思い、よく聴いていました。

多くの人はギターに興味を持つ中、僕はドラムのドスドスというバスドラの響きや、シンバルのシャイ~ンという響きに惹かれて行きました。

どーしても本物のドラムが叩いてみたくなり、友人のドラムを初めて叩かせてもらったところ普通にリズムが刻めるじゃないですか!これでハマりましたね。

手先の器用さを活かしてダンボールでドラムの胴体を作り、打面には丈夫な米の袋を重ね貼りして作りましたよ、ドラムセットを!ちなみにシンバルは缶々ね。

練習用の曲を探していたところ当時流行していたジャパニーズハードロックと出会いました。LOUDNESS,44MUGNUM,EARTHSHAKERなどなど。メチャかっこいいです~!!

高校生になると、アルバイトを始めてひとつひとつ本物のドラムやシンバルを揃えていきました。

高かったですね~!プロが使っているシンバルって1つが30,000円以上するんですよ。割れちゃうのに。

1年間くらいで一通り揃えたら、今度はバンドを組みたくなって人づてにメンバーを探しました。

メンバーはすんなり見つかって、バンド活動を本格始動!

高校2年の時に、あのチェッカーズが出たというYAMAHA主催のエルモーションというバンドコンテストに出場しました。

結果は「審査員特別賞」でした~!高校生ですから、大人にはかないませんね。

その後も大学生まではバンド活動三昧でした。

大学を卒業する時に、一生懸命揃えたドラムは後輩に売りました。

今でも自宅では電子ドラムで遊んでいます。

死にかけ体験その2

高校生の時に友人たちと海水浴に行った時のことです。

友人と3人でゴムボートを漕いで沖合200メートルほどの所まで行きました。

ボートから降りてしばらく一人で泳いでいたら、いつの間にか友人2人はボートとともに居なくなっているじゃありませんか!

岸まで200メートルくらいだから大丈夫だろうと思い泳ぎはじめました。

ところが、いくら泳いでも一向に岸に近づくことができません。

泳ぎつかれて立ち泳ぎをしていると警備艇が近づいてきて「お~い君、大丈夫か?」と聞いて下さいました。

でも、流石に救助されるのは恥ずかしくて「大丈夫で~す!」だって。

その後警備艇は去り、僕はまた泳ぎだしましたが、やはり一向に岸に近づくことができません。

このままだと間違いなく溺れると思った僕は冷静に周りを見渡しました。

その時、左側の岸の方がわずかに近いんじゃないかと思い横に泳ぎはじめたんです。

そうしたら、さっきまでの苦労が嘘のようにどんどん岸が近づくじゃないですか。

無事、岸にたどりつき事無きをえたのでした。

当時はそんなこと知るよしもありませんでしたが、岸に近づけないのは最近では常識となった「離岸流」が原因だったんですね。

今でこそ「離岸流」の存在と脱出方法は知られていますが、偶然その脱出方法を実行したんですね。

「命掛かってるんだから素直に警備艇に助けてもらえよ!」というお話しでした。

皆さんも「離岸流」にはくれぐれも気を付けて下さい。

死にかけ体験その3

僕は高校卒業と同時に原付免許をとり、スクーターを買いました。

友人と福岡から熊本まで原付で行こうという話しになり、バカだから夜の8時ころに出発しようということになりました。

春だったから、まだ夜はかなり寒かったのを覚えています。

出発して間もなく、トイレに行きたくなり友人宅に寄ることになりました。

しばらく話しこんだ後出発しようとした時に、友人が「寒いからこれかぶっていけ!」とフルフェイスのヘルメットを手渡してくれたのです。(当時、原付はヘルメットの着用義務はありませんでした。)

ありがたく借りて行き、そろそろ熊本に着くな~という時にそれは起こりました。

下り坂をフルスロットルで走っていると、阿蘇まで~キロの標識が現れたので確認のために標識を見上げました。

その直後にドッカ~ン ガッシャ~ン ズルズル~!!

突然出現した歩道の縁石に乗り上げて転倒してしまったのです。

下り坂だったので70キロくらいは出ていたでしょうか?

対向車線までふっ飛ばされました!

にもかかわらず運よく対向車の列が丁度途切れていたためはねられずに済みました。

恥ずかしいのですぐに立ち上がったところ、激しいたちくらみみたいな感覚が襲ってきました。

じわ~っと目の前が暗くなり、そのまま視力を失ってしまいました。

何が起こったのか分からないまま、通りかかったおねえさんの車に乗せられて病院に行くことになりました。

それから20分間ほどでしょうか、病院に到着した瞬間にじわ~っと眼が見え始めました。

後でヘルメットを確認すると、しっかりとへこみキズがありました。

結構強く頭を打っていたのです。

それが原因で視力を失ったのかは分かりませんが、頭をしこたま打っていたのは事実です。

「もし友人の家に立ち寄っていなかったら?」「友人がヘルメットを貸してくれなかったら?」「対向車が走ってきていたら?」と考えたら恐ろしくなります。

本当に運が良いと思います。

守護霊が強力なのかな?とかアホなことを考えちゃいます。

皆さんも無茶な運転はしないように気を付けて下さいね。

DIYとの出会い

大学を卒業して就職したのは、地元ではDIYで有名なホームセンターでした。

それまでも日曜大工や家電の修理など自分でしていたんですけど、本格的なDIYを知ってからは益々物造りや修理、メンテナンスに興味が出てきました。

この頃から車に興味を持ち始め、車のメンテナンスなども一通りできるようになりました。

カーオーディオのスピーカーも木材を使って作ったりしました。基本的に凝り性なんですね。

結婚と転職

29歳の時に3年間付き合っていた彼女と別れ、「俺は一生結婚できないんだろうな~」とか本気で考えていたんですが、半年後に新たな彼女とスピード入籍。

人生っていつ何が起こるかわからないですね。

その後、ホームセンター勤務は激務によりウツになりかけ退職。

嫁さんの実家のラーメン店を手伝うため宮崎に引っ越し。

基本的に真面目な性格なのでラーメンについて色々勉強して、

売上げを伸ばすことに成功。

当初はそれなりに売上があり、貯金もできていたのですが、原価高騰で利益がどんどん薄くなり始めました。

おまけに髪の毛も薄くなり始めました。

息子の誕生~別れ

商売では利益があまり出なくなり、カツカツの生活をしていました。

そんな時です!嫁さんから嬉しい報告が!

結婚8年目にして子供ができた~!!

も~嬉しくて嬉しくて、この子のためにも商売を頑張らねば~!と色々やってはみたものの、なかなかうまくはいかないものです。

夫婦二人でもカツカツの生活だったのに、3人になったもんだから余計にきつくなってしまいました。

そんな苦しい生活が続くとお互いギスギスした関係になり、ついに爆発!

離婚とあいなりました。もちろん、お店もたたむことになりました。

突然の閉店で常連さんたちにはご迷惑をおかけしました。

息子は僕が引き取りたかったんですが、お互い職が無くなり条件が一緒なら親権争いをしても母親が有利なのは分かっていました。

裁判なんか起こしたくなかったので親権は譲りました。

それでもポジティブにブログ作成

結婚生活は18年におよびましたが、離婚する時は実にあっさりとしたものでした。

よく言われるように労力は結婚する時の何倍も掛かりました。

独りになると毎晩のように寂しさが押し寄せてきました。

寝る時には息子と遊んだ記憶が次から次に思いだされてきて寝付けない夜が幾晩続いたことか。

電灯やテレビを付けたままいつの間にか寝てしまったこともしょっちゅうでした。

このまま自堕落な生活を続けていては息子に胸を張って会うことができないような気がしました。

落ち込んでばかりいず、何かをしなくては!と思い始めました。

何を始めようか迷いながらネットをみていたところ出会ったのがブログ作成でした。

はじめは離婚や子供との別れについてブログを立ち上げようかと思いましたが、そんなネガティブなブログは共感が得られたとしても面白くは無いと思いやめました。

で、自分が今まで経験してきたオーディオや車、DIYについての情報を発信しすれば皆さまの生活の役に立つし面白いんじゃないかと思いこのブログを立ち上げました。

長く生きていると、それだけで若い方々よりは多くの経験をしてきています。

その経験の中から楽しい事、面白いことを発信しながら僕もポジティブに生きていきたいと考えてます。

こんな僕ですが、どうぞよろしくお願いします。